岸本美緒氏・近藤和彦氏へのインタヴュー(1993)
(1993年1月28日)

Copyright : 青木敦

ホーム(東洋史研究リンク集)に戻る上(東洋史学の諸問題)に戻る


 これは、 1993年1月28日、東京大学西洋史学科発行の雑誌『クリオ』Vol.7(1993.5)の特集「インタビュー・「東は東、西は西」か?---岸本美緒氏、近藤和彦氏に聞く」のために行ったインタビューのうち、当時青木が岸本氏に質問した部分を中心にテープ起こしをした記録の一部です。これは同記事のもとになったものですが、記事になる前の青木のメモであり、AAEASウェッブページ用に青木の文責において載せるものです。したがって、両氏およびインタヴュアー(伊藤、山根)は、ここに載せられた発言の一切について責任をもっておりません。引用にあたっては、必ず同記事を参照し、そこから行ってください。このサイトからの引用は、謹んでお断り申し上げます。

 なお、インタヴュアーは、当時東大・院・西洋史の伊藤滋夫氏、同・地域文化の山根徹也氏、同・東洋史の青木敦です。

岸本美緒氏・近藤和彦氏へのインタヴュー(1993)
(1993年1月28日)



 

(以下、1本目A面)
岸本:……漢文を読んで行くのもおもしろい。古代史よりぐちゃぐちゃした明清の方に関心が移ったということもあるかもしれない。
青木:近藤先生は歴史という枠組みでお話しになっているようですが、僕たち中国史の方では、歴史という枠よりも、よく中哲・中文・東洋史という枠で括りますね。これについて先生方はどう思われますか? また岸本先生はどうして中哲や中文でなくて歴史をやられるようになったのですか?
岸本:そうですよね。それもいろいろあるんですけど(笑)。近藤先生の方は社会科学からお入りになったわけですよね?
−−−−−−−−−−
近藤:……その中で一番深く読んでいるのが……その中で一番若かったのが折原さんで、感激しましたねえ。
山根:それで、岸本先生が歴史をしようとしたのは……?
伊藤:ええ、まあそういうことなんですが。
−−−−−−−−−−
岸本:……(西嶋と田仲正俊との論争に)どう対応していいかわからない所ありました。
青木(?):それはどういうことだったのですか?
岸本:まあね。停滞論批判っていうかね。…………しかし、自分ではなんとなく言いたくないんだけど、どうしていいかわからないみたいな感じで。ちょっとしんどかったんですよね。
青木:結論が先に決められていたということですね。
岸本:そうですね、はい。
近藤:あのー、田仲先生っていうとね。77年に……
−−−−−−−−−−
伊藤:(1987年の歴研論文……)
−−−−−−−−−−
岸本:……自分自身が関心を持つまでは、溝口先生からの影響ってないんですよね。
青木:岸本先生の最近のご研究を見ていると、非常に細かいレベルまで下げてく傾向が強いように思います。つまり、全体ではなく権力関係、個人の行動といったレベルで議論されていることが、かえって西洋史の方などと共通して議論できる基盤になっているように思うんですけど、これはやはり先生の方から他地域や社会科学一般に接近したいという希望がおありだったということでしょうか。
岸本:はい、なんだかおっしゃられてみると、そういう高尚なことでもないんですが、そういうことはありますねえ。共同体みたいなもの論ずる場合にも、いったん個人を経由して論じたいというのか。……
−−−−−−−−−−
(以上、一本目、A面)
−−−−−−−−−−
伊藤:任侠ですか。
岸本:……
伊藤:金瓶梅ですね。
岸本:……
岸本:……例えば陽明学なんかね。共同性というものを非常に哲学的に熱烈に論じようとするわけだけども、清朝の人々から見れば、「なんでああいう空理空論をやらなきゃいかんのだ、もうちょっと経典をまじめに勉強しなきゃいかんじゃないか」ということになるわけ。そういう意味から見ると、いったん18世紀っていうのは落ち着いてしまった時代かな。
青木:思想史は別だと思うんですけど、歴研でご報告のあったそういう明末清初の騒然とした社会のありかたは、三国志の時代など、むかしからあったものだという批判がありましたが。
岸本:はいはいそうなんですよ。わたしの言いたいことはむしろ明末清初だけがそういう時代だったということではなくて……
−−−−−−−−−−
近藤:……『世界史への問い』みて、とても面白い。こういう問題だったら、こう論じたらどうだろいう、というのはいっぱいありましたね。
青木:あの、先生方はお互いの分野にたいして、注文とか、こういう点を具体的に明らかにしてほしいという注文ってありますか?
近藤:岸本さんということではなくて、一般的に日本のアジア史研究者に対して……
−−−−−−−−−−
(以上、一本目、B面)
−−−−−−−−−−
(二本目A面頭から)
岸本:「権力」にしたって、みんなメタファーでしょ。メタファーだってことはっきり言って議論するならそれでいいのじゃないかな。
青木:両方の先生におうかがいしたいのですけど、ディシプリンというものをかんがえるとすれば社会学ですか?
岸本:もし専門にやりたいというようなことですか?
青木:いや、研究のアプローチの方法でということです。
岸本:そうですねえ。何かわたしは、ひとつのメソッドに殉じるという気はないんですよね。…………雑食的なところ、これが歴史学の知性の誇れる所ではないのですか。
青木:好みという点で、例えば経済学のなかで、好きだなーという方法論はありますか?
岸本:あ、そうですね。好み! 好みはありますね。でも、経済学といってもいろいろあります。あまり勉強してないから言いません。ケインズが古典を批判する、その批判の仕方にはシンパシーを感じますね。……
山根:中国史では近代経済学か、マル経か。
−−−−−−−−−−
岸本:……哲学だって、そいういう現実的な関心から出て来たものだとすれば、面白いものであろうという感じがしますけどね。
青木:むかし岸本先生は、カール・ポパーを読まれていたということでしたね。
岸本:そうそう、それはむかし悩んでいたころの産物です。…………
近藤:……わたしはまだ修正マルクス主義者だ。…… 伊藤: 近藤:
岸本:わたしもマルクス主義で納得できないのは、史的唯物論だけですね。発展段階論みたいなものを別にすれば、わたしは資本論みたいなものがすけですね。
近藤:柴田は……やなひとだ。
岸本:若い学生も、戦後歴史学中国史学からまなべきだ。……研究者としては、マルクスのすたいるを……て得意がるのはいけないなあという感じです。
青木:近藤先生は、さきほど、わたしはまだ脱マルクスしきれてないという言い方で、非常になにか屈折したものを感じたのですけれど。
近藤:ポパーのことが話題になったからね。ポパーに動かされたとかいうことはあまりなくって。
岸本:私の話はポパー批判じゃないですよ。
−−−−−−−−−−
山根:中国史の史料は集めにいかなきゃならないとかないんですか?
岸本:時代によっても全然違うんですけど、宋代以前だったらべつに、集めに行く必要というのはまずないでしょうね。むしろ考古的な史料か。明清の場合は未公刊の制度文書みたいなものが膨大にあるので、見るには中国いかなきゃダメ。でも日本だけでもあっぷあっぷするほどありまして。留学の話になりますけど、青木さん留学しておりまして、いまはだいたい中国やってる院生はだいたい留学してるかな?
青木:僕の先輩では半々くらいですかね。他地域より中国関係は少ないかもしれませんね。岸本:そうですか。私もじつはしてないんですけど。
−−−−−−−−−−
岸本:……留学してる人に対して、何とはなしにコンプレックスありますね。「おまえ、見てないじゃないか」といわれればね、「そうですか」としか言えない。
青木:近藤先生はイギリスに留学されて、ご研究はずっと進みましたか?
近藤:そりゃあ留学前と後では決定的に違いますよ。……
−−−−−−−−−−
岸本:……日本人が集めた史料を、欧米人が加工する、使うということは割合多いように思います。
青木:先生のご分野では、欧米人で日本人の議論を理解して引用している研究者はいませんか?
岸本:それは人によりけりだとおもいます。私の感じだと、……。
−−−−−−−−−−
岸本:(教科書を)シェープアップするためにどんどん削るのが快感になっていった。
青木:以前尾形勇先生や後藤明先生、桜井躬雄先生が共同で教科書をお書きになっているとき、毎日激論だったようで、皆さんお互いに罵りあってたのを記憶してるのですけど、どういう点で議論になってたんでしょうかね。
近藤:それは東京書籍の先生がたでしょ。こっちは山川。
岸本:あの面々だと、一緒にしとけばなんか……。一緒に楽しい論争があったでしょうね。
−−−−−−−−−−
伊藤:そこで、自分の……ともつながってくる。
岸本:すごくオーソドックスなものがある。
カラス:かぁかぁ。
青木:教科書の中国史部分は、体系的に理解しにくいように思うんです。中国史では、たとえば京都とそうでない人の間の主張の開きが非常におおきいですよね。さっきも、西洋史のほうはバーンと筋があるという話がありましたけど、中国史はそれにたいしてバーンとひとつの歴史観を打ち出せない。主張にかなりへだたりがありますよね。
近藤:学派による違いということですか。
青木:はい。それはどこに原因があると思いますか?
岸本:時代区分論みたいなことですよね。私思うに、西洋史も一枚岩だとは思いませんけど、モデル自体が西洋史から出て来たものだから、どの時代が封建制かということも−そりゃ異論もあるでしょうけど−、そんなには掛け離れてはいない。中国史の場合はある種のヨーロッパモデルみたいなものを中国史にあてはめて時代区分しようとしてきたわけでしょう。
青木:そういう意識がまだ残っているから、学説がここまで分かれてしまったという...。
岸本:私もそう思うんだな。ですから、時代区分にしても、ヨーロッパの封建制に対応するようなものもあれば……
−−−−−−−−−−
(以上、2本目、A面)
−−−−−−−−−−
(以下、2本目A面とB面の間、テープ交換中に青木と岸本の間にあった会話。◆◆◆印から以降、B面。)
−−−−−−−−−−
青木:このごろは地域研究が盛んですから、いまさら時代区分論でもないかもしれませんが、岸本先生は敢えて中国史という括り方で時代区分するとすれば、やはり滋賀秀三氏のように秦漢とアヘン戦争で分けてその間を一つとしてお考えになりますか?
岸本:そうですね。◆◆◆中国人自身の分け方ってのがそうですからね。時代区分ってのは、現代の、そして伝統的な中国人自身のやってる時代区分に沿うのが正道かなって感じがしています。……
青木:そういう見方が停滞論として批判を受けるような状況が、今でも中国史のなかにありますかね?
岸本:今? どうだろう。あると言えばあると思います。まあ停滞論というもの自体が、言ってみれば、発展論対停滞論というふうに捉えられますけど、むしろそうではなくて、停滞論は発展段階論のうらかえしですね。つまり、本来歴史というのは、植物が生長する如く……。


 




《戻る》

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!